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月刊クーヨン(Cooyon) 2006年 3月号
キッチンでのおしゃべりは、
尽きることなく……。
風砂子デアンジェリス・西澤奈穂子・行本清香
アメリカの先駆的な市民活動と、それに力を尽くすバイタリティあふれるひとたちを紹介して、勇気と希望の「風」をお届けしてきたこの連載。最終回は、現執筆者の3人、バークレー在住の風砂子デアンジェリスさん、西澤奈穂子さん、行本清香さんのおしゃべりでしめくくります。戦争、差別などの暴力がなく、それぞれに違う一人ひとりが大切にされる世の中に向かって、これからはわたしたちも、それぞれの「風」を吹かせていきたいですね!
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| 真ん中は風砂子さん。バークレーの母と呼ばれているのですが、最近は自称「バークレーのおばあちゃん」。ハズバンド、ミノさんのリフォームしたすてきなおうちには、風砂子さんに会いにいつもたくさんのひとが集まります。そう、わたしたちも。右が清香ちゃん。一度会ったら忘れられない、とってもおもしろくて個性的な芸術家。いつも彼女の周りには大笑いが絶えません。左がわたし。「奈穂子ちゃんは、知性と好奇心と思いやりがすてきな色合いで調和している女性とわたしは言いたいな」とは風砂子さんのよすぎる紹介! |
3年もの長い間お世話になったこの連載も、いよいよ最終回。最後はこの3年を振り返りながらおしゃべりしようと、Shakeの現メンバー3人が風砂子さんのお宅に集まった。風砂子さんのいれてくれるインド仕込みのチャイはいつも最高。クレヨンハウスでいただいてきたケーキおばさんのクッキーは、そんなお茶にとってもよく合う。
この連載がはじまるきっかけになった、3年前の[ クーヨン]の記事を風砂子さんが見せてくれた。ニューヨークの同時多発テロで娘さんを亡くしたおとうさんを、風砂子さんがこのおうちでインタビューしたものだ。大切な娘を殺された彼は、それでもイラクを攻撃するのはまちがっていると真心を込めて訴えていた。あの頃、イラクを攻撃することに反対するひとがまわりにとても多く、大規模なデモもあちこちであった。戦争を歴史やテレビでしか知らなかったわたしは、「こんなに反対するひとが多いんだし、まさか戦争にはならないだろう」と思っていた。でも、戦争ははじまってしまった。あれから3年。数限りない反戦活動も「ペン」も映画もむなしく、戦争は続き、死者が増え続け、さらにブッシュが去年再選を決めて、「アメリカ」はどんどんわたしの知っていた「民主主義」とはかけ離れたものになっていく。
「でも、社会はつねに変わり続けるものだっていうことを、忘れてはだめ。歴史を知れば知るほど、社会って同じであり続けることは決してないっていうことも見えてくる。[クーヨン]の記事のためにいろんなところに取材に行って、いまいい活動をしているNPOの多くが、1960年、70年代の文化からはじまったことをあらためて知って、とても力づけられた。一人ひとりが自分に正直になり、自分の思いを声にして行動することで、社会が変わっていくんだよね」(風砂子)
「そういうことを知ると、勇気が出るけど、なかなか自分の考えを言うのって難しいよね。言うにしても、まわりの意見を気にするし」(清香)
声にするのも難しいけれど、それ以前に、自分の考えがよくわからないという場合も多いように思う。何にでもマニュアルを探し、自分にとって何が大切か考える前に、何が社会の中で正解なのか、受け入れられるものは何かにいつも意識を向け、自分だけはずれないように、まちがわないように、迷惑をかけないようにと、考えながら発言し、行動する。
「日本ではとくにそういうプレッシャーが強い気がするね」(清香、奈穂子)
個性や個々の違いを尊重するよりも、世間体や社会の規律に合わせようとしてしまう。社会からの無言のプレッシャーは、知らないうちにわたしたちのこころを支配していて、それに気づかないから、そこから自由になることもなかなかできない。
「学校の教育では、戦時中にも戦争に反対していたひとがいた(風砂子さんの父親がそうだった)なんてあんまり教えないわけだし。社会的なプレッシャーも、そういう教科書にはない歴史とか違う文化社会とか、大きな視点を得るところからも、感じ方が変わってくるかもしれないよね」(風砂子)
「確かに、学校で教わることって大きいのかもしれない。学校では、『みんな一緒に』っていうのをすごく大事にするし、教科書に疑問をもったりは、なかなかできないし」(奈穂子)
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3歳の孫娘サイアイとあそぶときは、サイコウにたのしくて、いっぱい教え
られるとき。いのちやひとの本性について。(バークレーのおばあちゃん)
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「わたし、孫を見ていて思うけど、子どもってすごいよ。自由で可能性に満ちていて、いのちそのものって感じがする。子どものその自由な感覚や疑問をつぶすような教育をしてはいけないと思う。わたしは孫になるべく『だめ』とは言わないようにしているの。自分の子育てのときには、忙しくて、子どもがそんなにすごい存在だなんて気づく余裕もなかったけどね」(風砂子)
「おばあちゃんに育てられるって、しあわせなことなのかも」(奈穂子)
「そうそう、わたしもおばあちゃんと一緒に過ごして、ほんとにしあわせだった。親や学校や外の世界では、ルールにしばられて窮屈な思いをしたけど、おばあちゃんと過ごした時間と空間の中では、わたしはいつも自由だった。おばあちゃんもありのままのわたしに無条件の愛をくれたしね。おばあちゃんがいなくなったいまでも、それがわたしを支えてくれてる」(清香)
でも、日本では戦後、アメリカ式育児法が入ってきて、おばあちゃんに育てられると甘えた子どもになると、祖父母を子育てから引き離したと聞いて驚いた。いまの核家族化も高齢者の隔離も、根っこはそんなところにあったなんて。そういうことを知るのも「歴史」を知るということなのだろう。
当たり前のことのようだが、違う時代を生きてきたひとと一緒に時を過ごすことは、なんと大切なことか。いろんなひとの思いやことばに触れながら育つことで、「学校で教わること」がすべてではないということを自然に知り、ひとと違う自分も、生きることの価値や力も、信じられるようになってくるのかも。それが自分の感覚を信じ、思いを発言する力につながるのかもしれない。そしてそれは、子育てに対してだけでなく、大人にも言えることだ。わたしたちもいつまでも、成長し続けているのだから。
この連載に携わって得たいちばん大きなものは「出会い」だと清香ちゃんが言った。わたしも同感だ。風砂子さんのキッチンでいろんなことをおしゃべりして、たくさんのパワーをもらった。取材を通して出会った多くのひとから、かけがえのないさまざまなことを教えてもらった。これからもこの出会いをもっともっと育て、これからは[クーヨン]の読者として、子どものような開いたこころで、またいろんなひとと出会っていけたらと思う。
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